助産師

助産師・いのちについて comments(0) - まんまるーむ
出産することになって、初めて「助産師」を知った方も多いと思います。
ちょっと前までは「助産婦(じょさんふ)」、
その前は「産婆(さんば)」と呼ばれていた職業です。
男性にもこの道への門戸が開かれてから「師」となり、
両性使用可能なネーミングになりました。
(男性助産師も日本に数人存在しているんですよ。)
英語ではmidwifeと言います。

実は、日本の産婆さんの評価は高く、
その技術や役割、地域での存在感は他に類を見ない誇れるものでした。
しかしながら、野蛮とか不潔とか遅れているものと見なされ、
近代的なものに変わっていく中で、
多くが失われていきました。
残念なことです。

出産を経験して、その存在・役割を知ると、
「すごい仕事」「大変な仕事」と称賛いただくこともあるのですが、
みな好きでなっているし、思われるほどえらいことしているとは全く思っていません。
むしろ逆に、生命誕生の場、人生のどえらい時に
そばにつかせていただくことに、感謝しているくらいです。
こんなに神々しい瞬間にいられる仕事もないと思います。
ありがたいことです。

助産師を目指す女性はいろいろいます。
同じ病棟で働く先輩にあこがれて、
母親が助産師だった、
病院の命令、キャリアアップ
子どもの時の職業体験、
妹弟の出産に立ち会って
実際に子どもを産んだ経験から
赤ちゃんが大好き、
産む性、母になる女性に関心がある
などなど。

以前に少し書きましたが、
私個人は、命というものに、もっと向き合いたい、
もっと深く追究したいと思ったのがきっかけです。
それと、ヘボい自分をガツンと大人に成長させたかった。
女性として独立した仕事、というのも魅力でしたね。

看護師・助産師への学び、なってからの学び、
どれも私という人間が、それなりに成長し、
それなりに社会で役割を担うためには、
絶対に必要でした。
この仕事をしていなければ、どうしようもないヤツになっていました。

私のように、「この仕事のおかげで」
という先輩助産師、特に桶谷の人は多いかもしれません。
この仕事をしたい!というより、
もっと深い、自分の芯から求める「知りたい」感情、とでもいいましょうか。
この仕事を通して、自分という命を知りたい、確認したい、
そんな感じです。

つまりは、
お産する女性やおっぱいをあげる母親たちの役に立ちたい、と言っていて
自分たちが支えられているような、いや、実際支えられているのです。

妊娠して、産んで、育てて、
その傍らに置かせていただくだけで、
助産師は助産師であり、生きがいを得られるというものです。
どうか、助産師の存在をを意識していただき、ご活用下さい。
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