死を覚悟して生きる

- comments(0) - まんまるーむ
生まれた瞬間から、死に向かって生きていくことになります。
早かれ遅かれ、いつかは死にます。
そんなこと、普段生活している中では忘れていますし、
常に意識していることではありませんよね。
だから、急に現実になると、恐いし、うろたえるし、受け入れられません。

おそらく、昔の人間は、
逆に普通に死を意識して生きていたのではないかと思います。
生きることが厳しい時代が長かったし、
生まれても簡単には育たずに、死んでしまう幼い命がたくさんありました。
とても苦しいことだけれど、生きている間には
いくつかの哀しい「死」を経験していたと思います。
もちろん自分の「死」にも、向き合って生きていたでしょう。
そうした生き様を示すような先人たちの足跡に触れると
強さというか、太い生命力を感じます。

災害・犯罪がいつ何時起こって、誰がいつどのように命を落すかわかりません。
防災・防犯対策をいくらしたとしても、
どうしようもない事態になることだって十分ありえます。
最悪のシナリオを想定して備えろとは言いますが、
最悪の場合って、死んでしまうことですよね。

縁起でもない、と考えたくもないし、厳しい想定かもしれませんが、
自分が死んでしまった場合とか、
愛する大事な人がいなくなってしまった場合とか、
想像してみて、心の準備や手はずを整えても良いと思うのです。

ちなみに、私はそろそろ真剣に終活をしようと考えています。
また、どこでくたばっても、できるだけ迷惑をかけないように、
身元がわかる物(自分を証明できるもの)を常に所持しています。

私は父を病院で、母を自宅で看取りました。
父の時は、周囲の人たちがまだ若かったし、
随分助けてもらい、勉強させてもらいました。

母の時は、父で経験もありましたし、
できれば大好きな家で最後を迎えさせてあげたいと思い、
自宅に引き取りました。
ただ、全て一人で仕切ってやらなくてはならなかったので、
亡くなる前から、あるところに相談して、
葬儀について、ある程度話をつけていました。
おかげで、ドタバタすることなく、穏やかに事を進めることができました。

父も母も、急ではなく、病気が進行していく中で
お互いに「死」を受け入れる時間ができたことは幸いでした。
思い返せば、小学生の頃から
親は自分より先に死んでいなくなってしまう、という事実を意識して、
それなりに少しずつ覚悟をしていった気がします。

両親の死は、そりゃ人並みに哀しいですし、寂しいです。
でも、受け入れの経過は早かったですし、
少なくとも苦しくはなかったです。
両親の存在が私の中に入って、永遠になるまで、
時間はかかりませんでした。

数日前、「事前復興」という概念を知りました。
大きな災害の後、仮設住宅やその後の復興のビジョンを含めて、
まち作り、取り組みをしていくことだそうです。
すでに計画を出して、実行している自治体もあるようです。

「備えあれば、憂いなし」
最悪のシナリオを想定して、
覚悟を決めて、腹を据えて、
そうすると案外、最も大事な物がキラリと見えてきて、
執着も薄れ、開き直って、
気楽に生きられたりしませんかね。

想像もできない厳しい現実を前に、
壊れてしまった自分に、
どんな復興プロジェクトが考えられるだろうか。
いろんな事前復興計画を立てておくのも
人生を澱ませない策かもしれません。

長くなってしまいました。
ここまで。

 
コメント一覧
コメントする

 

無料ブログ作成サービス JUGEM