「氣」は精力なり?

- comments(0) - まんまるーむ

「氣」って、信じますか?

目に見えないパワーというか、オーラというか、

何か感じたり、見えたり、治したり、

そんな感じのものでしょうか。

 

いつぞや、明石家さんまさんもご自分で

「氣」を持っている、というようなことをおっしゃっていましたね。

 

私の桶谷の師匠にもあたる先生は

ほぼ「氣」で手技をしているような方です。

私も手(指)を当てていただいて、

「氣」を感じさせていただいたことがありますが、

すごいものでした。気持ち良くもありました。

師匠は、訓練すれば誰でも氣を出せる、と

言っておられましたが、

そうそう、できるもんじゃありません。

「氣」を使ったり、コントロールできるほど持っている人間は

限られていると思います。

創始者の桶谷先生も、きっと「氣」を自在に操れる方だったと思います。

選ばれし人たちだと思います。

 

ありあまる「氣」、そのパワーって何だろうと、

考えてみました。

全く個人的見解で、根拠も何もない、ただの勘ですが、

それはすなわち「精力」ではないかと。

 

己の「氣」を持って、使えている方に

だいたい共通なのは、それなのです。

ぶっちゃけ「すけべ」「エッチ」ということです。

いやらしいイメージになってしまいますが、決してそうではなく、

人として全く健全なことであり、

生物としての至上の命題である「子孫を残す」

という意味では、不可欠なことです。

 

精力、生きる力・生き抜く力というとでも言いましょうか、

パワー、エネルギーですね。

これは生まれ持ったもの。天からの授かり物です。

 

もう一つ。

「無」になって、天地のパワーを「氣」にできること、です。

自分の力もありますが、それでは枯渇しかねません。

でも、天地・宙に存在する「氣」を得て、使うのです。

そのためには、「我」が強く在っては、「氣」を感じ取れません。

自分を「無」にしなくてはなりません。

自分は天地の「氣」をキャッチする羅針盤になるだけ、

といった感覚でしょうか。

 

私の師匠は

「私は手を置いているだけ。「氣」を使えば、勝手に手が動いて手技をする」

とまで言います。

だから全く疲れることはないのだと。

 

落語家の春風亭小朝さんも、言っていました。

とても調子がいい時は、自分が話しているのではなく

何かが乗り移って話しをさせられているようになるそうです。

それは、気持ち良いのだそうです。

 

実は、私も何度かあります。

お母さまたちに、お話をしていている時に

何かひらめいて、どんどん言葉が出てきて、話しているのです。

いつもなら、頭で考えて話すと思うのですが、

考えて出てくるという感覚ではなく、

何かに突き動かされるように、口から言葉が出てくるのです。

めっちゃ気持ちいいです。

何か波長が合った時なんでしょうね。

 

精力は生来のもので、どうしようもありませんが、

「無」になることは、多少修行次第でできるようになる、かな?

とりあえず、「氣」はあなどれません。たいへんなもんです。

 

 

 

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